選挙に金を賭けた人々

シーン ― 1916年秋、ニューヨーク
新聞の金融面を開くと、株式相場の横にもう一つ数字が載っていた。大統領選挙の相場である。ウィルソンとヒューズのどちらがいくらで取引されているかが気配値のように書かれ、出どころはウォール街だとされていた。その年に動いた金は、新聞の推計で約1,000万ドル。この市場がいちばん大きくなった年である。前回は、1973年のシカゴでオプションが取引所の建物の中に入っていく過程を見た。それより半世紀ほど前、ニューヨークの取引所の外では、株でも穀物でもないものに値が付いていた。
今回の旅の核心となる問い
- 選挙の結果に、どうやって値が付いたのか?
- その取引は、どこで行われていたのか?
- どのくらい当たっていたのか?
- それほど大きな市場が、なぜ消えたのか?
取引の場は三度移った
米国の経済学者ポール・ロード(Paul W.Rhode)とコールマン・ストランプ(Koleman S.Strumpf)は、大統領選挙をめぐる賭けの歴史をたどった。二人の研究によると、この賭けは19世紀半ばから1940年代まで続き、そのあいだに取引の場は三度変わった。
南北戦争の前までは、形がゆるやかだった。選挙の季節になればどの町でも賭けが行き交い、新聞が仲介役を担うこともあった。ただ、このころ新聞に載った賭けは、実際に成立した取引というより、大言や挑戦状に近いものが多かったと二人は見ている。
戦争が終わると、取引はニューヨークに集まった。1860年代後半にはビリヤード場のような場所が中心で、1880年代半ばからは、路上で店頭株を売買していたカーブ取引所とブロードウェイのホテルへ移った。20世紀初めには、金融街の仲介業者がこの取引を担うようになった。
最後の段階は、少し立ち止まって見ておきたい。証券の仲介業者がこの取引を扱っていたということは、当時の人々がこれを金融街の仕事として受け止めていたということである。
新聞が伝えた相場
新聞はこの数字を「カーブの相場」と呼んだ。といっても、カーブ取引所がこの取引を扱っていたわけではない。両者のつながりはせいぜい非公式なものだったと、研究者は書いている。正式に上場されていたわけでも、取引所が価格を保証していたわけでもなかった。それでも新聞はこの数字を相場として載せ、読者はそれで情勢を読んだ。
規模をうかがわせる数字も残っている。1844年の選挙には600万ドルを超える金が賭けられたという報道があり、1876年には約400万ドル、1916年には約1,000万ドルだった。いずれも新聞の推計である。当時は、取引を一か所で記録する仕組みがなかった。

どのくらい当たったのか
研究者の評価は好意的だ。科学的な世論調査が現れる前、この市場は選挙の結果をかなりよく言い当てていた。参加者の情報は限られ、相場を動かそうとする試みもあったが、市場はおおむね効率的に動いていたというのが二人の結論である。
この評価は、いまもよく引かれる。現在、予測市場を擁護する側は、お金がかかると人はより慎重に判断し、そうして集まった価格は役に立つ情報になると言う。その根拠として持ち出される記録の一つが、100年前のニューヨークのこの相場である。

消えた理由は一つではなかった
では、この市場はなぜ消えたのか。よく言われるのは、科学的な世論調査が登場したからだという説明である。間違いではないが、それは一部にすぎない。
二人の研究者は、1940年代初めまでに重なって働いた要因を五つ挙げている。世論調査が予測の手段として定着し、取引を仲介していた主な人物が亡くなったり業界を離れたりした。ニューヨーク市の違法賭博の取り締まりで仲介人が見つけにくくなり、戦時の税金と政治組織の衰退が重なって、賭け金そのものが減った。そして1939年にニューヨーク州で競馬の賭けが合法化されると、お金と仲介人はそちらへ移っていった。
五つのうち三つは規制と結びついている。取り締まり、税金、そして合法的な代わりの選択肢である。記録だけを見れば、この市場は予測が外れて消えたというより、周りの環境が変わって居場所を失った。

旅を終えて
選挙の結果に値を付け、その相場を新聞に載せることは、100年前にすでに行われていた。規模も小さくなく、予測もよく当たっていた。そして1940年代に消えた。
だから、いま再び現れた似た商品を、初めて見るものだと言うのは難しい。ただ、過去にそうした市場があったからといって、いまそれが認められるわけではない。当時も、この取引の多くは法の外にあり、取り締まりの対象だった。
次の停留所は、その「いま」である。同じ問いが2026年に再び持ち上がり、今度は法廷で争われている。これは金融商品なのか、それとも賭博なのか。
本記事は2026年8月時点のものである。本記事は歴史の記述であり、特定の商品の取引を勧めたり、現在の適法性を示唆したりするものではない。予測の結果にお金を賭ける商品の扱いは法域によって異なり、禁止されている、あるいは刑事罰の対象となる地域もある。損益構造が決まっていることと、リスクが低いことは別である。予測が外れれば、使った金額の全部、あるいはその大部分を失う可能性がある。
旅の途中で押さえる用語
- 予測市場 ― ある出来事が起きるかどうかにお金を賭け、その取引価格を、出来事が起きる可能性の目安として読む市場。
- カーブ取引所 ― 20世紀初めのニューヨークで、正式な取引所の外、路上で行われていた株式取引とその組織。のちに正式な取引所となった。
- バケットショップ ― 実際の取引所に注文を出さず、客の注文を店の中で処理していた仲介業者。当時も違法であることが多かった。
- 賭けの仲介人 ― 反対側に賭けたい人どうしを結び付け、手数料を受け取っていた人。
- 推計値 ― 集計された統計ではなく、観察や伝聞をもとに見積もった値。今回の金額の多くはこれにあたる。
表1. 消えた市場の記録(金額は当時の新聞の推計)
| 時期 | どこで | 規模と特徴 |
|---|---|---|
| 南北戦争前 | 全国の町、新聞が仲介役 | 1840年・1844年に活発 ― ただし大言・挑戦が混じっていた |
| 1860年代後半 | ニューヨークのビリヤード場など | 取引がニューヨークに集まり始める |
| 1880年代半ば〜 | カーブ取引所、ブロードウェイのホテル | 新聞が「カーブの相場」として報道 ― 公式なつながりは非公式の水準 |
| 1890年代〜1910年代 | 金融街の仲介業者 | 最盛期。1916年に約1,000万ドルでピーク |
| 1920〜30年代 | 同じ金融街、縮小 | 報じられる取引は匿名の高額な単発のものが中心に |
| 1940年代初め | ― | 消滅。世論調査・仲介人の離脱・取り締まり・税金・政治組織の衰退・合法的な代わりの選択肢が重なる |
一度消えた市場が100年後に戻り、今度は法廷に立った ― 第18話「それは金融商品か、賭博か」。2026年の米国で、連邦の監督当局といくつもの州が真正面からぶつかった。第6話で見た「ゲーミングの線」をどこに引くのかをめぐる争いである。
参考資料 · SOURCES
- ポール・ロード、コールマン・ストランプによる歴代大統領選挙の賭け市場の研究(米国の経済研究機関で公開された論文)― 取引の場の変遷(ビリヤード場・カーブ取引所・ブロードウェイのホテル・金融街の仲介業者)、年ごとの取引規模の推計、予測の精度と効率性の評価、消滅の要因
- 上記研究の要約を紹介した報道記事 ― 1868年から1940年までの期間と評価
- 本シリーズの既存回:第16話(1973年の取引所)、第6話(米国の規制構造)
金額は当時の新聞の推計であり、集計された統計ではない。本文でも推計であることを明記した。予測の精度に関する評価は研究者の判断であり、編集部の評価ではない。本コンテンツは歴史・教育目的の情報提供であり、特定の商品への投資勧誘や利益を保証するものではありません。規制・現状に関する記述は2026年8月時点のものです。
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